BAR GERSHWINが内装工事を行っている。店を6日間ほど休み、壁紙、飾る絵を変え、看板、外扉のペンキ塗り、厨房内では冷蔵庫、フロアシートなどを変える。しかしなんといっても一番のチェンジはピアノが変わることだ。この場所にピアノが置かれて24年、すっかりこの環境に溶け込んでいたように思う。ピアノの豊口健さんによれば「こんな音色のピアノは他にはない」そうだ。しかし約40年前に作られたピアノ、置かれているのはビルの地下室。湿度の変化著しく、最近こそ減ったが24年分のたばこの煙を吸い込んでいる。経年劣化も進み調律が狂いやすく、オーヴァーホールが必要かと思っていたのだが、調律師さんからいいピアノが見つかったと聞き、ピアノの引退を決めた。海外の恵まれない国に送られ、そこで使用している写真が送られてくるそうなので、彼の第二の人生が楽しみではある。
今年の夏は順調に推移し残暑もなく、秋の気配が濃厚になってきた。今年の夏は店の内装と宮田あやこコンサート2014の準備が重なったので、精神的に落ち着く暇はなくあわただしく過ごしたが、そんな時懐かしい友人たちが訪ねてくれてほっと一息つくことができた。
サンディーはサンディーズ・フラ・スタジオを日本で始めて10数年、並行して修業を重ね、今やクニフラ(ハワイで与えられるフラダンスの指導者)の地位まで上り詰め、東京代々木はじめ全国にスタジオを持ち、吉本ばなななど彼女への信奉者は多い。フラとは単なる踊りではなく歌唱や演奏も含まれ、スピリチュアル、宗教的な表現を伴うものだ。そんなフラの指導者としての立場もあるが、サンディーのもう一つの顔は音楽家としてのもの。21世紀に入ってからは彼女のルーツであるハワイ音楽に深くかかわっている。伝統を重んじ、新しい解釈を加えたハワイ音楽のシンガーとして活躍している。1980年代はサンディー&サンセッツのヴォーカリストとしてとして海外に進出。オーストラリアではベストテンに入るヒット曲を、90年代は環太平洋音楽の表現者としてアジア圏での人気を誇った。マレーシアではアルバムがレコード大賞を受賞した。
そんな彼女が8月の二日間ガーシュウィンを訪れてくれた。1980年に発表した宮田あやこのアルバム「レディ・モッキン・バード」はサンディーが詞を書いた同名曲からとられたものだ。それ以来の親交があり、彼女が仕事で札幌にやって来たときはいつでも真っ先に「アコちゃんに会いたい」と連絡があり、楽しく話し込んでいた。今回はプライベイトの来道で北海道の夏を満喫していけたようだ。お土産にアルバム10数枚と自身のコンサートのDVDを持参してくれた。渋谷オーチャードホールで毎年のように開かれているこのコンサートは総合芸術と呼ぶべき荘厳なハワイアン・ショーで、演出、主演ともにサンディーが務めている。フジロックには毎年出演し、札幌で開かれるライジング・サン・フェスティバルへの出演にも意欲を示していた。
告井延隆さんは今やアコースティック・ギターによるビートルズ演奏者として日本のみならず、海外での評価も高い。一本のギターでオーヴァーダビング、変則チューニングなしで、たとえばポールのベースラインを弾きながら、メロディーを弾いてしまうといった芸当を軽くこなしてしまう。しかし「どうだすごいだろ」的な印象は演奏からは全く感じられない、ビートルズの楽曲の素晴らしさ楽しさを伝えようとしている。
北海道ツアーのOFF日にガーシュウィンを訪ね楽しく時を過ごしていった。素晴らしいオリジナル曲を数多くもつ彼だけれど(初期の竹内まりやの曲を書いている。宮田あやこのものもね)、今は観客が喜んでくれるならオリジナルにはこだわっていないと語る。今夏はビートルズが名を挙げたキャバーンクラブなどリバプールで数か所演奏活動を行ってきた。その演奏の一部を映像で見せてもらったが、英国のビートルズファンは演奏を清聴などしないのだ。みんな告井さんの演奏に合わせて大きな声で歌う。演奏する告井さんの笑顔も印象的だった。リーダーをやっていたセンチメンタル・シティ・ロマンスを今年脱退し今は加藤登紀子のバンド・マスターとソロギタリスト
の二本立て。表情も以前よりずっと穏やかで活動の充実ぶりが伝わってきた。
告井さんともう一つ盛り上がったのが、60年代マンチェスター発のロック&ポップミュージック。ホリーズ、ハーマンズ・ハーミッツ、フレディ&ドリーマーズなど一連のサウンドを僕も告井さんも少年期愛聴しており、そのリーダー格だったホリーズには特に思い入れがあり「バタフライとフィフィ・ザ・フリーのコード進行はそっくり。」「バタフライのストリングスアレンジは最高。」10CCのグラハム・グールドマンもマンチェスター出身で彼が15歳の時ホリーズのメンバーの前でギター一本で、彼の書いた「バス・ストップ」「恋は窓から」「ノー・ミルク・トゥデイ」を歌い、即2曲のレコーディングをホリーズは決めた。「ノー・ミルク・トゥデイ」はピーター・ヌーンとの約束がありハーマンズ・ハーミッツが歌った。などという話に時間を忘れた。
ガーシュウィンの改装は大変でもあるけれど、楽しくもある。今回の店の飾りはジョージ・ガーシュウィン、コール・ポーターなどが憧れ、ウッディ・アレンが映画「ミッドナイト・イン・パリ」で描いた1920年当時のパリをどこか意識してみた。インターネットで複製のアート・ポスターや絵画が気軽に買える時代なので、数点購入したが複製印刷方法にジグレープリントという表記を多く見かけるようになった。リトグラフ、シルクスクリーン同様今の時代に発明されたインク・ジェット方式の精密な印刷技術のことなのだが、この技術が時代を席巻し始めている。私財をなげうって技術開発の会社を興したのが何とザ・ホリーズのグラハム・ナッシュ。ためしにロートレックのポスターを一枚購入したが、素晴らしい発色だった。原版がいらずどんな材質にも印刷できるようだ。少年時代のヒーローとこんな形で出会えて感無量のものがある。