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Channel: 宮田マスターのGERSHWINレポート
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A Tribute To Linda Ronstadt~     「リンダ・ロンシュタットに捧ぐ」           宮田あやこコンサート2014

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今年も7月21日を迎えた。この日には、特別な感慨がある。宮田あやこのデビューアルバム「Lady Mockin’ Bird(レディー・モッキン・バード)」(エピックソニー)がリリースされた日なのだ。1980年のことだ。人生には節目が何度かあるというけれど、この日はまさにそういった日だった。

1960&70年代の空気の中には素敵な歌があふれていた。カラオケなどなかった。歌いたいものは皆ギター片手に歌い始めた。あやこもそんな中の一人だった。プロ歌手になろうなどと考えたことはなかった。たまに好きな歌を、お気に入りの音楽仲間と披露できればそれで十分だった。

が、しかし運命の神様は突然やってくる。あやこがこれを最後と決めたステージのライブテープが東京の音楽関係者の耳にとまり、1979年2月にレコーディングの話がやってきたのだ。最初に僕が電話を受けたのだけど、半信半疑でありながら、一方では来るべきものが来たとの感慨にとらわれた。しかし、オリジナルを持たないあやこの歌がおいそれと通用するほど甘い世界ではないことは理解していた。結婚をしていたし、そろそろ子供を欲しかった、歌をなりわいにするなど想像できなかった。プロ・デビューの話はこれまで歌ってきたことへの評価、ご褒美と考え、お断りすることにした。

リンダ・ロンシュタットが初来日をしたのはその翌月3月。リンダの大ファンだった我々は、友人にチケットを手配してもらい公演初日の神奈川県民ホールでのコンサートを前から4列目の席で観た。オープニングは「Lose Again」。衝撃だった。しゃべりもほとんどなくひたすら歌に没頭するリンダは素晴らしかった。

この上京でレコーディングの話を持ち掛けてくれた松本裕氏と会い、お断りしようと考えていた。松本裕氏は当時まだ28歳ではあったがフリーのレコーディングミキサーとして、久保田麻琴&夕焼け楽団、鈴木慶一&ムーンライダース、上田正樹、オレンジ・カウンティ・ブラザーズなど僕らが気になる音楽家の多くを手掛けていた。録音は日本の他のミキサーとレベルが明らかに違った。西麻布の松本氏のマンションで話し合いの場を持った。何の縁もゆかりもない北海道の既婚シンガーをデビューさせようなどという無茶さに 音楽への純粋さを感じた。実兄が作詞家の松本隆氏で、はっぴいえんど人脈に連なれるかも、という甘い考えもめばえた。リンダのコンサートの余韻が覚めていなかった我々は心が揺れていた。それまでの決心はどこへやら、松本氏の「この日本でリンダに負けないレコードを作ろう」が殺し文句だった。パンドラの箱は開けられた


紆余曲折があり、様々な人との出会い別れがあり一年半後、デビューにこぎつけた。いろいろな無理がたたったのか、デビュー後半年であやこは体調を崩し、歌手活動継続を断念した。プロとしてやっていくにはもっと強い気持ちが必要だったのだ(このあたりの話は長くなるので機会があったらまた)。あやこのシンガーとしての第一章は終わった。

二人の子を授かり、1985年僕とあやこはカフェ・ハートランドという店を始めていた。自家焙煎珈琲とケーキに食事、店には1970年代80年代の音楽が流れていた。ピアノも置かれた。しかしあやこがそこで歌うことはなかった。そんなときリンダ・ロンシュタットの新譜を聴いた。「What’s New」と題されたアルバムはアレンジャー、ネルソン・リドルとの共演盤で1920年~50年代の楽曲だけで作られていた。今でこそそれなりの評価を得たシンガーがスタンダードアルバムを作ることは珍しいことではないが、あの頃はハリー・二ルソンの「夜のシュミルソン」というアルバムがあったくらいと記憶する(あっ、カーリー・サイモンのものもありました)。ロック・クイーンと思っていたリンダの突然の変心と冷ややかな態度を示すファンが多かったが、あやこは違った。

10代に熱心に聴いた音楽はその人の一生の音楽嗜好を左右する、といった意見があり僕もそれには賛同する。昨年発売されたリンダ・ロンシュタット自伝を読んでも、リンダは幼いころからスタンダードソングを父親から聴かされており、彼女の中にはそれらポップ・スタンダードが染みていたのだ。路線外のアルバムと思われたが、リンダの歌手生活を俯瞰してみるとそれは必然的だった。10代のころあやこにも実はポップ&ロック以上に好きだった音楽があった。それはアストラッド・ジルベルトが歌うボサノヴァ。中学生でジルベルトのコンサートを聴きにいくほどに彼女の音楽に惹かれていた。ボッサ仕立てではあったけど、ジルベルトを通して数多くのスタンダードソングに触れていた。エラ・フィッツジェラルドやアン・バートンなども知りすばらしいメロディたちに心打たれていた。

しかしあやこはスタンダードソングはジャズ・シンガーのもの、自分にはジャズは歌えないとずっと考えていた。しかしこのアルバムでのリンダはメロディーを崩すわけではなく、ジャズ風に歌うわけでもなく、スタンダードソングメロディーの素晴らしさを素直に自然に伸びやかに歌い上げた。リンダを通して再び歌が届けられた。開け放たれた扉の向こうでは、きら星のごとき名曲の数々があやこをいざなった。あやこの中に歌うことへの情熱が再び生まれた。

月日はめぐり、2013年リンダ・ロンシュタットは自伝を発表し、パーキンソン病で思い通りに歌えなくなった、と歌手活動を引退していたことが明らかになった。人生の節目に進むべき道をリンダの歌に導かれたあやこにとって、ショッキングな出来ごとではあったがそれ以上に感謝の気持ちがあった。宮田あやこがスタンダードを歌い始めて30年近くになる。初めにリンダから受けた影響も徐々に自分自身の表現に変わった。しかしスタイルは違ってきてもやはりリンダは素晴らしいと言わざるを得ない。歌うことはもちろん、生き方も素敵だった。

そんなことで企画されたのが、リンダ・ロンシュタットへのオマージュコンサート。宮田あやこコンサート2014 A Tribute to Linda Ronstadt「リンダ・ロンシュタットに捧ぐ」。宮田あやことリンダのレパートリーの内、重なる曲が50曲ほどもある。今構成選曲中だが、普段歌っているポップ・スタンダードはもちろんのことアマチュア時代によく歌っていたリンダの曲を多く歌おうと思っている。一曲だけお教えすれば、リンダの十八番で、長年この曲だけには手を出せないと考えていたリンダの名唱中の名唱曲「Blue Bayou(ブルー・バイユー)」をうたうつもりだ。力強いファルセットはリンダの魅力だが、ファルセットを使わない唱法で宮田あやこの「ブルー・バイユー」がどう表現されるか。ロイ・オービソンの郷愁あふれるこの曲をどう料理するのか楽しみにしていただきたい。1970年代の音楽に心打たれた方、ポップ・スタンダードの魅力にとらわれている方、何よりリンダ・ロンシュタットを愛した方、多くの方のご来場をお待ちしています。

宮田あやこコンサート2014
A Tribute To Linda Ronstadt(リンダ・ロンシュタットに捧ぐ)
●2014年10月13日(月・祝日)
●17時開演
●ターミナルプラザことにPATOS
札幌市西区琴似1条4丁目地下鉄東西線地下二階(西改札口徒歩30秒)
●前売り券¥4,000 当日券¥4,500
 大丸プレイガイド、道新プレイガイド、BAR GERSHWINにて発売
●出演
 宮田あやこ ヴォーカル
 山下泰司  ピアノ、コーラス&編曲
 釜鈴徹   ウッド&エレクトリックベース
 出田寿一  ドラム&パーカッション
 古舘賢治  ギター&コーラス


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